iPhone5がスペックの代わりに選んだもの
2012秋冬〜2013春モデルが、ドコモ(10機種)/ソフトバンク(6機種)/au(9機種)の3社からそれぞれ発表されました。
中にはキャリアを跨ぐ兄弟機もありますが、合計25機種になります。
各社ともAndroid4.0〜、クアッドコアCPU、2GBメモリ、2000mAhオーバーのバッテリ、日本独自仕様機能完備と・・・スペックで見ると隙の無いラインナップです。
しかし、9月に発売されたiPhone5ほど話題になるものがもちろんあるワケではありませんし、各社のLTEサービス開始、会社の合併など業界を動かすような影響力があるワケでもありません。
・・・改めて考えてみました。
実際の販売シェアで見てみても、
『1機種で1年サイクルのiPhone』VS『日本国内だけでも1シーズンで25機種発表されるAndroidスマートフォン』で争って市場の2割を獲得できるのだからiPhoneの支持というものは凄まじいものです。
まぁ25機種というのは今回の3キャリア発表による日本国内の合計であり、世界規模にするとAndroid端末の種類はもっと凄まじい数になるのでしょうが。
きっとアプリ開発者も端末メーカーも、部品のサプライヤーも大変でしょうな。
で、例えば今回auから発表された「HTC J butterfly HTL21」とiPhone5を比較してみると・・・
iPhone5 | HTC J butterfly | |
OS | iOS6 | Android4.1 |
CPU | デュアルコアA6 1.3GHz | クアッドコアSnapdragon 1.5GHz |
メモリ | 1GB | 2GB |
ストレージ | 16/32/64GB | 16GB |
画面 | 4型 640×1136 | 5型 1080×1920 |
サイズ | 123.8×58.6×7.6 | 143×70.5×9.1 |
重量 | 112g | 140g |
バッテリ | 1440mAh | 2020mAh |
その他、HTC J butterflyはワンセグ、赤外線、おサイフケータイ、NFC、DLNA、IPX5の防水といった日本仕様機能を備えています。
こうして横に並べて見てみると、
「なぜAppleはiPhone5の液晶をもっと大きくしなかったのか?」
「iPhone5のバッテリが2,000mAhくらいあれば良かったのに」
「市場で1年戦うモデルなら、CPUはクアッドコアにすべきでは?」
という見方ができると思います。自分なんかはそうです。
今回のiPhone5が112gに軽量化、そして薄型化することを選ばなければ、もっとバッテリ容量を増やすことができたハズです。
そして326dpiの解像度を捨てれば、アプリの互換性を同じように画面上下の黒帯で対応しながらいくらでも画面のインチ数を増やすことができたハズです。
iPhone4Sの140gと同程度の重さを保ったままならば、きっとiPhone5はあらゆる面でスペックアップする選択肢があったのでしょう。
仮にそんなにデカくて速くてバッテリが長持ちする重いiPhoneがリリースされれば、自分のような人間はきっと魅力を感じます。
しかし、『世の中の多くの人が求めているのがこのiPhone5だ』というのがアップルのマーケティングなのでしょう。
きっと毎日手に持って使うデバイスとして『iPhoneはこうでなくてはいけない』という故ジョブズ氏の拘りがiPhone5には込められているのでしょうな。
自分は実際にiPhoneとAndroidスマートフォンの両方を毎日持ち歩くようになって1年半になるワケですが、手に持って使う時間は『iPhoneが95%、Androidスマートフォンが5%』くらいです。
Android5%の内訳も、音声通話と目覚ましアラームの設定が殆どです。つまりスマートフォンらしい使い方は全くされていないワケですな。
そこには『使っていて気持ち良い』という何ともアナログな評価があります。
あたかもどのラーメンが『美味しい』というか、クルマの『ハンドリングの味、エンジンの吹け上がり、ボディの剛性感』みたいな、人間の感性にダイレクトに訴えかける魅力です。
もちろん技術というものは常に進歩し続けて、さらには市場での競争も常に続くワケでiPhoneも外部環境に影響されて実装する技術や機能も変わっていくのでしょう。
市場シェアの面ではどんどんAndroid陣営に差を広げられていく可能性も十分にあります。
しかしそれでもApple『らしさ』みたいなものをずっと発揮し続けていくであろうアップルの『意志』みたいなモノを、自分は今回の各社Androidスマートフォンの新機種発表から感じました。
まぁ結論としては、スペックだけで評価できない“モノとしての総合力”がiPhoneにはある、という平凡な話でした。
今日はこんなところで。