新しいiPadの超高解像度は歴史的分岐的になる


新しいiPad(3rd Generation)を何度か触りました。自分は今回のiPadはパスするので店頭でサッと触るに留めているのですが、それでもiPad2ユーザーからするとその液晶の美しさ、精細さには目を見張るものがあり、“俺のiPad2の方が軽いんだゼ〜!”と合理化して物欲処理せざるを得ないここ最近です。買ったコトをアピールしてきたり、見せびらかしてくる輩はカンベンして欲しいものです。“俺のiPad2ジョブズ自らプレゼンした最後のデバイスなのだッ!”くらいしか反論できませんので。
しかしまぁ今までのiPadを知らない方々からするとどちらのiPadでも十分写真表示なんかもキレイに見えるんじゃないでしょうか。今日はそんな新しいiPadの強烈に高精細な液晶の意義というか価値みたいなものを考えてみたいと思います。


最初に結論申しますと当エントリの表題なのですが、「新しいiPadの超高解像度は歴史的分岐点になる」ということです。



これまでの“PC”においては、少なくとも自分視点ではWindows95、若しくはMacでいうと漢字Talk7くらいでユーザー側の便利さというものは飽和点に達しています。
・マウスでカチカチ操作できる

(コマンド操作を知らなくともOSの操作が行える)

・紙に出るのと近いイメージで書類作成ができる

・ネットに繋いで情報収集/発信する

・写真、音楽、映像といったコンテンツを視聴/編集する


殆どのユーザーが求める機能といったら上記のような感じではないでしょうか。もちろんWin95時代以降もテクノロジーは進歩し続けることで、より小型化、省電力化、より処理が速くなる、より容量の大きなコンテンツを扱える、より操作が直感的になる・・・こういったスペックアップはもちろん継続的に行われ、おかげで手のひらに収まるiPhoneがPCに肉薄する処理速度を発揮するなんていうコトも起こってくるワケです。これはこれで歓迎すべき点です。
しかしWindowsが98・・・7、MacOSがOSX10.7 Lionへと進化した現在でも、上記の4項目から大きく逸脱するような“新しい便利さ”というものは無いように感じます。FacebookGoogleのサービスも基本的にはこの中に含まれるハズです。現在猛烈なスピードで拡大しているiOS/Andoridデバイスも、これらのPCの用途を快適なタッチパネルなどの“新しい、より直感的なユーザーインターフェース”によってより身近にユーザー体験を豊かにしてくれているモノだと、自分は捉えています。



そして、今回のiPadRetinaディスプレイには『解像度の飽和点』というものを感じています。
おさらいですが、Retinaディスプレイというのは人間の網膜が認識できる限界を超えたドットの細かさの解像度を持つものです。
『解像度の改革』と言ってしまえばそれまでですが、それは今後の10年の“テクノロジーの当たり前”を形成する大きな分岐点を新iPadが作り出したような気がするのです。
そもそもRetinaディスプレイが“人間が認識できる限界”であるというのが正しい情報ならば、今後は人間の認識できる領域外での進化が行われることになるワケで。


今後、“PC”や“ポストPC”と呼ばれるカテゴリにおいてはきっとコレ級の解像度(9.7インチで2048×1536=300dpi近く)がスタンダードになることでしょう。
10年後(2022年)くらいには『2012年のiPad2を節目に、印刷物と変わらない解像度のディスプレイ搭載が標準化された』なんて言われているかも知れません。


数少ないウィークポイントとして『新しいiPadは重い』『新しいiPadは熱い』というのがありますが、これは歴史の分岐点におけるちょっとしたゴミのようなモノじゃないでしょうか。グラフィック処理性能、バッテリ製造技術、これらは時間の経過と技術の進歩により必ず解決される問題であり、アップルはそれを承知の上で『ちょっと先の未来』をユーザーに提供してくれているような気がします。


そう思うと新しいiPad(3rd Generation)はゼヒ買うべきであると物欲アンテナが反応するのですが、今回はMacBookAirを買った直後なのでそうもいかないのが現実なワケで、今日はこんなところです。